get back my heart後編)


海堂が夢を見ていた頃。乾も夢を見ていた。
遠い日の夢。幼かった自分。一番幸せで...一番辛かった頃の夢。
人を愛せなくなったのもこの頃からだった。

あんたなんかいなければいいのに...」

どうしてそんなことを言うの...?

僕を捨てるの...?


ばっと目が覚めた。酷い夢だ。汗がすごい。
俺は台所に行き水を飲み干した。

誰もいない無機質な家。ひとりでいるのもう慣れてしまった。

俺は再び部屋へ戻り、ベッドへ入った。
妙に目が冴えて眠れない。いや、違う。眠れないんじゃない。眠るのが怖いんだ...

あの人は夢の中でまで俺を苦しめる。
俺が一番愛して。そして俺を一番愛してくれていると信じて疑わなかった人。

俺の母親。

俺は幼かった日のことを思い出していた。


俺が幼いころから父は仕事が忙しく、滅多に会うことは無かった。でも父は父なりに俺を愛してくれていた。
幸せだった。誰かの誕生日には必ず父も仕事を休んでいたし、クリスマスもツリーを囲んで楽しかった。

「お母さん、僕ね、お母さんが大好きだよ!」
「ふふ...お母さんも貞治が大好きよ。世界中で一番愛してるわ」
「アイシテルってなーに?」
「一番大好きで一番大切でその人とずっーと一緒にいたいと思うことよ」
「じゃあ僕もお母さんのことアイシテルんだね!」
「あら...ふふふ...」

幸せだった。愛している人に愛されていた日々。愛する人がいた日々。


「あなた!どういうことよ?!」
ある日父と母が言い争いをしていた。
父に愛人がいたのだ。
夫婦の仲は俺が思っていたよりもずっと冷え切ったものだったらしい。
だが幼い俺にそんなことが分かるはずもなく。ただただ怯えていた。

そしてある日を境に父は家に帰らなくなった。

でも父は俺のことだけは気にかけてくれていた。電話もくれた。手紙もくれた。時々は幼稚園まで来てくれた。
俺はそのことを何の悪気もなく母に話した。
「今日お父さんが来てくれた」 「今日お父さんにこれを買ってもらった」
それが母の神経を逆なですることなど気づくわけも無かった。


「どうして?!どうしてあんただけあの人に愛されてるのよ!!」
母の虐待が始まった。
父の方は夫婦愛に冷え切っていたが、母の方はそうでもなかったらしい。俺だけ父と会えるのに嫉妬したらしかった。

毎日殴られた。食事も与えられなかった。生きる糧は母の目を盗んで飲む水道水だけだった。
凍てつくような冬の日も毛布一枚与えられなかった。

「お母さん...寒いよ...お腹すいたよ...」

その声を聞いても母は暖めてくれなかった。食事を与えてくれなかった。

やがて母も父に見切りがついたのか、今度は他の男と会うようになった。
でもそんな男との関係もいつも長くは続かなかった。
そのたびに酒に走り、そして俺を殴る。
それでも俺は母を愛していた。いつか母も前のように俺を愛してくれると信じていたから。

その日も母は男と別れ、泣いて酒を飲んでいた。
俺はそんな母に近づき、慰めの言葉を言った。すると母は...

「あんたがいるから誰も私と結婚してくれないのよ!あんたなんかいなければいいのに!」

と言った。

俺はその日から人を愛する心、人を信じる心を失った。


あれから10年以上が経った。父と母は離婚し、俺は今父と暮らしている。

俺は思う。
人は多かれ少なかれ、親からの愛情を教えにして誰かを愛していくのだ。
俺が誰かを愛せるわけが無い。あんな愛され方をした俺に。

海堂に分かるわけが無い。
親から一身に愛情を受け、何不自由ない生活をしているお前に。
俺の心を取り戻せるわけがない。

それぞれの夜は更けていく...


俺はその日から何事もなかったかのように海堂と接した。
しかし海堂は「何事もなかったかのように」などできないらしく、態度は明らかに不自然だった。
そんな俺達の様子を他の部員は気づかなかったが、勘のいいあいつだけは気づいていた。

「ねぇ乾、海堂となんかあったでしょ?」
「余計な詮索はしないでくれ、不二」

こいつだけはどうもつかめない。余計なことをしないでくれ、と言ってはみたものの、それは無駄な行為だ。
「そういうわけにはいかないよ。かわいい後輩と大事な友人が悩んでるのにv」
「笑えない冗談だな」

このやり取りは部活が終わるまで続いた。


「海堂、ちょっといいかい?」
海堂は以外な人からの呼び止めに驚く。
「はぁ...何っすか?不二先輩...」
ここじゃちょっと、と不二が囁き、海堂と不二はコートの裏側へ向かった。

「海堂、乾となんかあったでしょ?」
単刀直入に不二が問う。海堂は大きな目を更に大きくさせ、
「なっ...どうして先輩...」
驚きを隠せなかった。
「僕が立ち入る問題じゃないって分かってる。でもこれだけは確認させて欲しい。君は乾が好きなんだろ?」
不二の目はいつもの何か企んでいるような、ふざけた目じゃない。真剣だ。
海堂はこの質問に答えるべきか迷ったが、不二の真剣な目にすいこまれるように
「はい...」
と答えてしまった。
「そっか...勘違いしないでね。別に興味本位とかそんなんじゃない。偏見だって持たない。ただ...」
不二は一息おいて、
「君には重いよ」

沈黙が流れた。
頭がついていかない。先輩の言葉が理解できない。
「どういう...ことっすか...?」
やっと出た言葉はなんとも弱々しい声だった。
「知りたいかい?」
先輩の問いに迷わず頷いた。

不二は乾の過去を話しはじめた。
おもしろ半分で海堂にこのことを告げるわけじゃない。
海堂が本気で乾を愛すなら、このことは知らなければならない。
長い時間乾と友人として過ごしてきて、彼にはとても悲しいところがあることに気づいた。
誰も愛せないということ。
幼い頃のトラウマが彼を縛っているのだ。
それはとても悲しいことだった。
自分は乾が好きなのだ。もちろん、恋愛感情としてではなく、友人として。
だからいつか...
いつか乾のトラウマを消してくれる人が現れるのを待っていた。
それはなぜか海堂のような気がした。


話を聞き終わったあと、海堂は呆然とした。
なんて悲しいんだろう。母親に殴られ、邪魔者扱いされていたなんて。
今の先輩からは想像もつかないような過去だった。

「いいかい、海堂。君がどうしても乾に愛されたいと思うなら、乾が何を言っても何をしても乾を信じるんだ。
そうすればきっと乾の心も開く。分かった?」
海堂は頷いた。
あんなことを言われたくらいで先輩のことを嫌いになんかならない。嫌いになんかなれない。
先輩を信じる。


それから海堂は乾に対する態度を以前のように戻した。
前のようないい先輩後輩の関係に。

「海堂、新しいメニューできたよ」
「あ、ありがとうございます」

端から見れば何の変哲もない二人だろう。
そう。これでいい。
恋愛対象としてそばにいられないなら以前の先輩後輩の関係でそばにいればいい。
幸い先輩も何事もなかったかのように普通に接してくれるから。

愛されることはなかったけれど、幸せだった。


一方乾は海堂の態度の変化に疑問を感じていた。
なぜ急に自然に振舞うようになったんだろう。

「海堂、今日一緒に帰らないか」
俺は海堂に声をかけた。明らかに動揺しているのが分かる。
「え...でも...」
「俺と帰るのイヤ?」
海堂はあわてて首を横に振った。

この帰り道が2人にとって運命を分ける道になる。


何を話すでもなく二人は歩いた。何から話していいのか分からないから。

海堂がいつも自主トレする公園にさしかかるといきなり乾がその沈黙を破った。

「海堂、ちょっと話そう」
断ることを許さない口調だった。

「お前最近俺に対する態度が前と同じようになってきたよな。それはなんでだ?俺のことをあきらめたのか?」
「あきらめてません」
間髪を入れずに海堂は答えた。実際これっぽっちもあきらめてなどいないのだから。
「じゃあ何があった?」
その真剣な口調から眼鏡にさえぎられて見えない目が見えた気がした。

言いたくない。先輩の過去を知っていることは。なぜだか分からないが言ってはいけない気がした。
でも...なぜだか同時に言わなければいけない気もした。

先輩の目にひきこまれるように次の瞬間、口が動いた。

「先輩のお母さんのことを聞きました...」

先輩の顔色が変わった。空気が凍った。

「誰に...?」
「不二先輩です...」
その声には怒気が含まれていた。

「それで...不二先輩が、乾先輩を本気で好きでいるなら、このことを知っておくべきだって...
だから俺...」

「だから俺に同情したのか?」
声が震えている。
「ちがっ...ただ俺は先輩のことが好きだから...少しでも先輩の気持ちが分かりたくて...」

しばらく沈黙が流れた。

「はは...はははははは!」
先輩が笑った。冷たく乾いた声で。ちっともおもしろくなさそうに。

先輩はいきなり俺の腕を引っ張り、人気のない場所へ連れていった。
そして俺の体を地面に押し付け、身動きを取れないようにした。

「海堂...俺のことが好きか...?」
恐ろしく低い声で尋ねる。しかし俺は恐怖のあまり答えられない。
「好きかって聞いてるんだ!!」
胸倉をつかまれ、もう一度尋ねられる。
俺は恐怖心を抱きながらやっとの思いで頷いた。
「そう...じゃあ俺が今からどんなことをしても許してくれるよな?」

そう言って先輩は俺の制服を引き裂いた。

「んっ...んんんん!!」
制服の切れ端で口を塞がれる。苦しい。声が出せない。
「海堂...俺の気持ちが分かりたいんだろ?だったら教えてやるよ。愛する人に理不尽にねじ伏せられる恐怖を...」


「んんんんんん..!」
体が引き裂かれるように痛い。声を出したくても出せない。
体中を何度も殴られる。恐怖で涙が止まらない。
そして...
「海堂、知ってる?男同士はここを使うんだよ」
と言って秘所に指を入れられた。
「んんんっ!!」
痛い! そう言いたかったけれど口を塞がれて声が出ない。

やがて俺の中に先輩が入ってきた。

「?!」
俺はあまりの激痛に気を失った。


目の前で海堂が気を失っている。当然だろう。
俺はとりあえず海堂の衣服を整えた。このまま目を覚ましてもきっと自分で着替える力すらないだろうから。
「愚かだな、海堂...俺なんかに深入りしようとするからこんなことになるんだ...」
俺はその場を去った。


家に帰りつき、俺は不二に電話した。
「もしもし不二か?お前海堂に何を言った?」
「ありのままを」
俺は不二に抗議しようとした。すると...
「乾。君はいつまで悲劇のヒロインでいるつもりだい?」
と不二が言った。
「何だって?」
少しムッとした。
「君の生い立ちは確かに哀れだ。でも君は同情されるのを異常に嫌っていたね」
「それがどうしたんだ」
少しの沈黙が流れる。
「同情されるのが嫌なら僕達周りの人間は君に何ができるんだい?君は誰よりも愛されたかったくせに
誰も愛そうとしない。愛されたいのに自分は愛さないなんてそんなの子供のわがままだ。
君を愛した人間が今までどれだけ傷ついてきたと思う?僕だってずっと友人として君のそばにいたのに
君は僕でさえ信じようとはしなかった。だから僕も君を信じることができなかったんだよ。
誰も愛さない人間は誰からも愛されないよ」
何も言えなかった。それは全て真実だから。
「でも」
不二が沈黙を破った。
「そんな今の君を愛した人間が1人だけいるだろう?」
そう言われて思い出した。さっき自分が傷つけたばかりの後輩を。
「海堂に君の過去を話したとき、正直不安だったよ。君の過去は重過ぎる。それでも海堂は君を愛し続けるかってね。
でも海堂は言ったよ。先輩を信じるってね。いつか君の心が開くのを待つってね。君はそんな海堂も傷つけるのかい?」
まるで俺がさっきしてきたことを見透かしているような問いだった。

そして俺は不二の電話を切った。
そしてしばらく考えた。
俺は取り返しのつかないことをしてしまったのだ、と。
誰かに傷つけられたから誰かを傷つけていいわけじゃない。そんなこと子供だって分かってる。
俺はずっと逃げていた。
誰かを愛してまたその人に裏切られたら今度こそ立ち直れないから。
だから誰かを愛しそうになるたびに無意識にその人を遠ざけた。そして傷つけた。
2度とその人が自分に近づかないように。
でも海堂は違った。
俺は海堂を好きになりかけていたのだ。
コーチとして海堂と接していたとき。あの眼差しに。あのひたむきさに。自分だけに開いてくれた心に。
でも怖かった。また誰かを愛すのが。だから自分の気持ちを押し殺してきたのに。
なのに。海堂が俺を愛した。そしてその気持ちを言葉にした。
海堂が俺を愛し、そして俺も海堂を愛した。
だけど...
その「愛し愛されること」が、幼い日の母の裏切りを思い出させた。
だから怖かった。だから傷つけた。もう近づかないでくれ、とのメッセージを込めて。
でもそれは間違っていたのだ。

俺は窓の外を見た。いつの間にか雨が降っていた。暖房をつけていない部屋は凍てつくように寒い。
俺は上着をつかんで家を飛び出した。

息を切らし、傘もささずに先ほどの場所へ向かった。
その場所には海堂がまだ倒れていた。

「海堂!!」
海堂を抱き起こした。顔色が真っ青だ。雨にびっしょりと濡れ、小刻みに震えている。
「海堂!海堂!!」
ずっと呼び続けた。すると海堂はうっすらと目を開け、俺の顔を見ると
「先輩...」
とつぶやき、うれしそうに笑った。
「どうしてずっとここにいたんだ...?」
海堂を抱きしめながら問いかける。体は氷のように冷たい。
「先輩の...」
目には涙が浮かんでいた。
「先輩の...気持ちが知りたかったんです...寒い中、ずっと外にいた先輩の気持ちが...
それに...」
海堂の腕が俺に抱きついてくる。
「先輩が...ここに戻ってきてくれるって...信じてましたから...」

その海堂の言葉を聞いた瞬間、俺の心の中の氷が溶けた気がした。


あのあと再び海堂は気を失い、俺はとりあえず俺の家に連れていった。
体を温め、着替えさせ、ベッドに横にさせる。
その間ずっと海堂の手を握っていた。

しばらくし、海堂の目が覚めた。
「先輩...?ここは...」
「俺の家だ。海堂...」
俺は海堂の両手を握った。その手が泣きたくなるほど温かった。
「俺のことを好きだって言ってくれたこと...それはまだ有効か..?都合がいいのは分かってる。お前にあんな痛い思いを
させて今更お前のことが好きだなんて、虫が良すぎる...でも海堂、信じてくれ。お前が好きなんだ...」

なんて自分勝手なんだろうと思う。今更海堂を好きだと言う資格なんて自分にはきっとない。
でも...自分の気持ちを伝えたかった。
しばらく沈黙が続いたあと...
「不二先輩が、乾先輩が何を言っても何をしても、先輩を信じるんだ、って言われました...
だから俺は先輩を待ってた。そしたら先輩が来てくれた...俺は先輩を信じます」
海堂の長い腕が俺の首に巻きついた。俺も海堂を抱きしめた。
「先輩、好きです...愛してます」
2度目の海堂の告白はなぜかくすぐったくて。
「俺も愛してるよ、海堂...」
久しぶりに誰かを愛した自分が何だか信じられなくて。

海堂が俺の心を取り戻してくれた。
冷え切っていた自分を。甘えていた自分を。愛してくれた。温めてくれた。

今度は俺が海堂を愛して温める番だ。


I get back my heart...

END

(あとがき)
2500hit記念の後編です。いかかですか、青様?自分の感想としては...微妙!!
シリアスかこれ..?という感じです。こんなもんしか書けない私ですいません...
タイトルの「get back my heart」とは、「心を取り戻す」という意味です。(多分)すいません、英語が苦手なもので...
とにかく乾さんは過去の出来事にトラウマを持っていて、誰も好きになれないんですね。でもその冷え切った心を薫が取り戻す、
というのが書きたかったんですが。思った以上に長くなりましたね。
とにもかくにも終わりました!青様、リクエストありがとうございました!!
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